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日本が世界に誇る火祭りねぶた
短い夏をあのねぶたでやしてみないか?

毎年8月2日〜7日まで青森市で行われる最高の祭り『ねぶた祭り』
津軽の短い夏を激しく揺るがす津軽衆、ほらハネト達の鈴の音が...

アスパムの周りにはラッセランドと呼ばれるねぶたを作るための大きな
テントが無数に作られ、その中では今年出陣するねぶたが作られてゆく。

さぁ!いよいよ出陣!
夕方ねぶた運行の時間が近づいてくると市内の交通規制が始まり、昼間の喧騒とした街が俄かに静まりかえる、
耳を澄ますと遠くから鈴の音が近づいてくる、だんだんと鈴の音が大きくなりねぶた囃子が聞こえてくる、
ラッセランドからは今日出陣のねぶた達が勇壮出陣してゆく。

2018年出陣ねぶた 2019年出陣ねぶた

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2000年出陣ねぶた 2001年出陣ねぶた


ねぶたメモ

起源

ねぶた祭りの起源についての定説はないということらしいです。いくつかの説がある。

七夕灯籠流し説・・・民俗学的説、七夕の夜にけがれを川や海に流す禊(みそぎ)の行事の変形
        ねぶた祭りも七日の夜にねぶた人形を川や海に流す習わしがある。


服部アイデア説・・・津軽為信公の重臣服部長門守康成が夏の楽しみとして、大灯籠を作り、 
                家来たちが思い思いに笛や太鼓で囃し、津軽屋敷の近所を引き歩いたという説。


坂上田村麻呂説・・・後の征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷討伐の折人形灯籠を作り、その中
    に兵を忍ばせ集まってきた蝦夷を退治したという故事の説。


語源

農作業の忙しい夏、作業の妨げとなる睡魔を追い払い、邪霊を流すという「眠り流し」という行事があり
「眠い」を津軽弁では「ネプたい」ということから変化したといわれる。                    


ねぶたの制作

ねぶた師はねぶた祭りが終わった次の日から翌年のねぶたの構想を考え始めます。構想は、歴史上の
 
物語などを題材に練り、時代考証を綿密に行い2月頃までに下絵を作成します。              
 
五月頃からラッセランドで制作が始まります。角柱で支柱を組み、針金で輪郭を組んでいきます。内部に
 
約800個以上の電球や蛍光管を取り付け配線してゆきます。針金で組み上がった輪郭に和紙を貼り付け
 
真っ白なねぶたができます。その白いねぶたに書割と呼ばれる墨で顔や手足を書き輪郭を引き立たせて
 
いき、ろう書きと呼ばれるパラフィンを溶かして模様を書き、灯りを引き立たせます。さらに筆やエアブラシ
 
で着色し鮮やかな色のねぶたが出来上がり。ねぶたを台車にのせ台座に装飾をし出陣に備えます。   
 
ねぶたの大きさは幅9m奥行き7m高さ5mの制限があるらしいです。


ハネト衣装着付け

(1) 下着姿になって、女性はTシャツかタンクトップ。パンツは御自由に(^^)
(2) 足袋を履く
(3) こしまき(おこし)をつける。すそは膝とくるぶしの中間。
(4) 浴衣を着る。背中の中央を合せ、えもんはあまり抜かない。
すそは膝丈になるよう、おはしおりをして、細紐で止め、帯をしめる。結び方は貝の口が一般的。
結び方が判らないときは、書店で立ち読みして覚えてきましょ。
幅広のマジックテープで止めるだけでもOK。
(5) しごきを帯の上から腰にかけて結ぶ。
(6) たすきは、背中で×になるようにかけ、中央で蝶結びにするが、
慣れないうちは、左右の肩の後にたすきを掛けるようにして、
胸で蝶結びを作り、形を整えてから肩から抜いて、リュックを背負うようにつけるといい。
女性は肩の部分をちょっと広めにし、脇の下から覗かれないようにする。
(7) 花笠は豆絞りの手拭いで固定するけど、顔の所で広くして覆面するようにしてもいい。
(8) 汗拭きのタオルと、お財布などは、巾着に入れて、首からさげて、懐へ。
うちわは帯にさして。ガガシコは、しごきの端っこに結んで。
(9) ぞうりを履いたら、豆絞りを裂いたもので、左右の鼻緒と踵を固定して、いざ出陣。


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