『菜根譚』 II

菜根譚前集51項〜100項


前集51項

我有功於人不可念、而過則不可不念。人有恩於我不可忘、而怨則不可不忘。

われ、人に功あるも念うべからず、而して過ちはすなわち念わざるべからず。
人、われに恩あらば忘れるべからず、而して怨みはすなわち忘れざるべからず。

前集52項

施恩者、内不見己、外不見人、即斗粟可当万鐘之恵。利物者、計己之施、責人之報、雖百鎰難成一文之功。

恩を施すには、内、己を見ず、外、人を見ざれば、すなわち斗粟も万鐘の恵に当つべし。
物を利するには、己の施しを計り、人の報いを責むれば、百鎰といえども一文の功を成しがたし。

前集53項

人之際遇、有斉有不斉、而能使己独斉乎。己之情理、有順有不順、而能使人皆順乎。以此相観対治、亦是一方便法門。

人の際遇は、斉しきあり斉しからざるあり、而してよく己れをして独り斉しからしめんや。
己れの情理は、順なるあり順ならざるあり、而してよく人をしてみな順ならしめんや。
これをもって相観対治せば、またこれ一の方便なる法門なり。

前集54項

心地乾浄、方可読書学古。不然見一善行竊以済私、聞一善言仮以覆短。是又藉寇兵、而齎盗粮矣。

心地乾浄にして、まさに書を読み古を学ぶべし。
然らざれば、一の善行を見ては竊みてもって私を済し、一の善言を聞いては仮りてもって短を覆う。
これまた寇に兵を藉して、盗に粮を齎すなり。

前集55項

奢者富而不足。何如倹者貧而有余。能者労而府怨。何如拙者逸而全真。

奢る者は富みて而も足らず。何ぞ倹者の貧にして余りあるにしかん。
能者は労して而も怨みを府む。何ぞ拙者の逸にして真を全うするにしかん。

前集56項

読書不見聖賢、為鉛槧傭。居官不愛子民、為衣冠盗。講学不尚躬行、為口頭禅。立業不思種徳、為眼前花。

書を読みて聖賢を見ざれば、鉛槧の傭となる。
官に居て子民を愛せざれば、衣冠の盗となる。学を講じて、躬行を尚ばざれば、口頭の禅となる。
業を立てて徳を種うるをおもわざれば、眼前の花となる。

前集57項

人心有一部真文章、都被残編断簡封錮了。有一部真鼓吹、都被妖歌艶舞湮没了。
学者須掃除外物、直覓本来、纔有個真受用。

人心に一部の真文章あり、すべて残編断簡に封錮一部の真鼓吹あり、すべて妖歌艶舞に湮没しおわる。
学はすべからく外物を掃除して、直ちに本来を覓むべく、わずかに真受用あらん。

 直覓本来の「」は「不の下に見の字が元の字か

前集58項

苦心中、常得悦心之趣、得意時、便生失意之悲。

苦心のうち、つねに心を悦ばしむるの趣を得、得意の時、すなわち失意の悲しみを生ず。

前集59項

富貴名誉、自道徳来者、如山林中花。自是舒徐繁衍。
自功業来者、如盆檻中花。便有遷徙廃興。
若以権力得者、如瓶鉢中花。其根不植、其萎可立而待矣。

富貴名誉の、道徳より来るは、山林中の花のごとし。おのずからこれ舒徐繁衍す。
功業より来るは、盆檻中の花のごとし。すなわち遷徙廃興あり。
もし権力をもって得るは、瓶鉢中の花のごとし。その根植えざれば、その萎むこと立って待つべし。

前集60項

春至時和、花尚鋪一段好色、鳥且囀幾句好音。
士君子幸列頭角、復遇温飽。
不思立好言行好事、雖是在世百年、拾以未生一日。

春至り時和らげば、花なを一段の好色を鋪き、鳥かつ幾句の好音を囀ず。
士君子、幸に頭角を列し、また温飽に遇う。
好言を立て好事を行うことを思わざれば、これ世にあること百年なりといえども
、あたかもいまだ一日も生きざるに似たり。

前集61項

学者有段兢業的心思、又要有段瀟洒的趣味。若一味斂束清苦、是有秋殺無春生。
何以発育万物。

学は、段の兢業の心思あり、また段の瀟洒の趣味あるを要す。
もし一味斂束清苦ならば、これ秋殺ありて春生なし。
何をもって万物を発育せん。

前集62項

真廉無廉名。立名者正所以為貧。大巧無巧術。用術者乃所以為拙。

真廉は廉名なし。名を立つるはまさに貧となすゆえんなり。
大巧は巧術なし。術を用うるはすなわち拙となすゆえんなり。

前集63項

欹器以満覆、撲満以空全。故君子寧居無不居有、寧処欠不処完。

欹器は満をもって覆えり、撲満は空をもって全し。
ゆえに君子はむしろ無に居るも有に居らず、むしろ欠に処るも完に処らず。

前集64項

名根未抜者、縦軽千乗甘一瓢、総堕塵情。客気未融者、雖沢四海利万世、終為剰技。

名根いまだ抜けざるは、たとい千乗を軽んじ一瓢に甘んずるも、すべて塵情に堕つ。
客気いまだ融けざるは、四海を沢し万世を利すといえども、ついに剰技となる。

前集65項

心体光明、暗室中有青天。念頭暗昧、白日下生視S。

心体光明なれば、暗室の中にも青天あり。念頭暗昧なれば、白日のもとにも視S生ず。

前集66項

人知名位為楽、不知無名無位之楽為最真。人知饑寒為憂、不知不饑不寒之憂為更甚。

人は名位の楽しみたるを知りて、名なく位なきの楽しみの最も真たるを知らず。
人は饑寒の憂いたるを知りて、饑えず寒えざるの憂いのさらに甚だしきたるを知らず。

前集67項

為悪而畏人知、悪中猶有善路。為善而急人知、善処即是悪根。

悪をなくして人の知らんことを畏るるは、悪中なお善路あり。
善をなして人の知らんことを急にするは、善処すなわちこれ悪根なり。

前集68項

天之機緘不測。抑而伸、伸而抑、皆是播弄英雄、顛倒豪傑処。
君子只是逆来順受、居安思危。天亦無所用其伎倆矣。

天の機緘は測られず。抑えて伸べ、伸べて抑う、みなこれ英雄を播弄し、豪傑を顛倒するところ。
君子はただこれ逆に来たれば順に受け、安きに居て危きを思う。天もまたその伎倆を用うるところなし。

前集69項

燥性者火熾。遇物則焚。寡恩者氷清、逢物必殺。
凝滞固執者、如死水腐木、生機已絶。倶難建功業而延福祉。

燥性は火熾。物に遇えばすなわち焚く。寡恩は氷清、物に逢えば必ず殺す。
凝滞固執は、死水腐木のごとく、生機すでに絶ゆ。ともに功業を建てて福祉を延べがたし。

前集70項

福不可徼、養喜神以為召福之本而已。禍不可避、去殺機以為遠禍之方而已。

福は徼むべからず、喜神を養いてもって福を召くの本となさんのみ。
禍は避くべからず、殺機を去りてもって禍に遠ざかるの方となさんのみ。

前集71項

十語九中、未必称奇。一語不中則愆尤駢集。十謀九成、未必帰功。
一謀不成則貲議叢興。君子所以寧黙毋躁、寧拙毋巧。

十語九中るも、いまだ必ずしも奇と称せず。一語中らざれば愆尤駢び集まる。
十謀九成るも、いまだ必ずしも功を帰せず。一謀成らざれば貲議叢がり興る。
君子、むしろ黙して躁なることなく、むしろ拙にして巧なることなきゆえんなり。

前集72項

天地之気、暖則生、寒則殺。故性気清冷者、受享亦凉薄。唯和気熱心之人、其福亦厚、其沢亦長。

天地の気、暖なれば生じ、寒なれば殺す。ゆえに性気清冷なる者は、受享もまた凉薄なり。
ただ和気熱心の人は、その福もまた厚く、その沢もまた長し。

前集73項

天理路上甚寛。稍遊心、胸中便覚広大宏朗。人欲路上甚窄。纔寄迹、眼前倶是荊棘泥塗。

天理の路上ははなはだ寛し。やや心を遊ばせば、胸中すなわち広大宏朗なるを覚ゆ。
人欲の路上ははなはだ窄し。わずかに迹を寄すれば、眼前ともにこれ荊棘泥塗なり。

前集74項

一苦一楽相磨練、練極而成福者、其福始久。一疑一信参勘、勘極而成知者、其知始真。

一苦一楽、相磨練し、練極まりて福を成すは、その福始めて久し。
一疑一信、相参勘し、感極まりて知を成すは、その知始めて真なり。

前集75項

心不可不虚。虚則義理来居。心不可不実。実則物欲不入。

心は虚ならざるべからず。虚なれば義理来たり居る。心は実ならざるべからず。実なれば物欲入らず。

前集76項

地之穢者多生物、水之清者常無魚。故君子当在含垢納汚之量。不可持好潔独行之操。

地の穢れたるは多く物を生じ、水の清めるはつねに魚なし。
ゆえに君子はまさに垢を含み汚れを納るるの量を在すべし。潔を好み独り行なうの操を持すべからず。

前集77項

泛駕之馬、可就駆馳。躍冶之金、終帰型範。只一優游不振、便終身無個進歩。
白沙云、為人多病未足羞、一生無病是吾憂。真確論也。

泛駕の馬も駆馳に就くべし。躍冶の金もついに型範に帰す。ただ一に優游して振わざるは、すなわち終身個の進歩なし。
白沙云う、「人となり多病なるはいまだ羞ずるに足らず、一生病いなきはこれわが憂いなり」。真に確論なり。

前集78項

人只一念貪私、便銷剛為柔、塞智為昏、変恩為惨、染潔為汚、壊了一生人品。故古人以不貪為宝。所以度越一世。

人はただ一念貪私なれば、すなわち剛を銷して柔となし、智を塞ぎて昏となし、
恩を変じて惨となし、潔を染めて汚となし、一生の人品を壊了す。
ゆえに古人は貪らざるをもって宝となす。一世に度越するゆえんなり。

前集79項

耳目見聞為外賊。情欲意識為内賊。只是主人翁、惺惺不昧、独坐中堂、賊便化為家人矣。

耳目見聞は外賊たり。情欲意識は内賊たり。
ただこれ主人翁、惺々不昧にして、中堂に独坐せば、賊すなわち化して家人とならん。

前集80項

図未就之功、不如保已成之業。悔既往之失、不如防将来之非。

いまだ就らざるの功を図るは、すでに成るの業を保つにしかず。既往の失を悔ゆるは、将来の非を防ぐにしかず。

前集81項

気象要高曠、而不可疎狂。心思要しん密、而不可瑣屑。趣味要冲淡、而不可偏枯。操守要厳明、而不可激烈。

気象は高曠を要し、而して疎狂なるべからず。心思はしん密を要し、而して瑣屑なるべからず。
趣味は冲淡を要し、而して偏枯なるべからず。操守は厳明を要し、而して激烈なるべからず。

 心思要しん密の「しん」は「糸へんに眞

前集82項

風来疎竹。風過而竹不留声。雁度寒潭。雁去而潭不留影。故君子事来而心始現、事去而心随空。

風、疎竹に来る。風過ぎて竹に声を留めず。雁、寒潭を度る。雁去りて潭に影を留めず。
ゆえに君子は事来たりて心始めて現われ、事去りて心随って空し。

前集83項

清能有容、仁能善断。明不傷察、直不過矯。是謂蜜餞不甜、海味不鹹。纔是懿徳。

清にしてよく容るるあり、仁にしてよく断を善くす。明にして察を傷つけず、直にして矯に過ぎず。
これを蜜餞甜からず、海味鹹からずという。わずかにこれ懿徳なり。

前集84項

貧家浄払地、貧女浄梳頭、景色雖不艶麗、気度自是風雅。士君子一当窮愁寥落、奈何輙自廃弛哉。

貧家も浄地を払い、貧女も浄く頭を梳ずれば、景色艶麗ならずといえども、気度おのずからこれ風雅。
士君子、ひとたび窮愁寥落に当たるも、いかんぞすなわちみずから廃弛せんや。

前集85項

闥不放過、忙処有受用。静中不落空、動処有受用。暗中不欺隠、明処有受用。

闥に放過せざれば、忙処に受用あり。静中に落空せざれば、動処に受用あり。暗中に欺隠せざれば、明処に受用あり。

前集86項

念頭起処、纔覚向欲路上去、便挽従理路上来。一起便覚一覚便転。此是転禍為福、起死回生的関頭。切莫軽易放過。

念頭起こるところ、わずかに欲路上に向かって去るを覚らば、すなわち挽きて理路上より来たせ。
ひとたび起こりてすなわち覚り、ひとたび覚りてすなわち転ず。
これはこれ、禍を転じて福となし、死を起こして生を回すの関頭なり。せつに軽易に放過することなかれ。

前集87項

静中念慮澄徹、見心之真体。闥気象従容識心之真機。淡中意趣冲夷、得心之真味。観心証道、無如此三者。

静中の念慮澄徹なれば、心の真体を見る。闥の気象従容なれば、心の真機を識る。
淡中の意趣冲夷なれば、心の真味を得。
心を観じ道を証するは、この三者にしくはなし。

前集88項

静中静非真静。動処静得来、纔是性天之真境。楽処楽非真楽。苦中楽得来、纔見心体之真機。

静中の静は真静にあらず。動処に静にし得来たりて、わずかにこれ性天の真境なり。
楽処の楽は真楽にあらず。苦中に楽しみ得来たりて、わずかに心体の真機を見る。

前集89項

舎己毋処其疑。処其疑、即所舎之志多愧矣。施人毋責其報。責其報、併所施之心倶非矣。

己を舎ててはその疑いに処することなかれ。その疑いに処すれば、すなわち舎つるところの志多く愧ず。
人に施してはその報を責むることなかれ。その報を責むれば、併せて施すところの心もともに非なり。

前集90項

天薄我以福、吾厚吾徳以むか之。天労我以形、吾逸吾心以補之。天阨我以遇、吾亨吾道以通之。天且奈我何哉。

天、われに薄くするに福をもってせば、われ、わが徳を厚くしてもってこれをむかえん。
天、われを労するに形をもってせば、われ、わが心を逸してもってこれを補わん。
天、われを阨するに遇をもってせば、われ、わが道を亨らしめてもってこれを通ぜしめん。天かつわれをいかせん。

 吾厚吾徳以むか之の「むか」は「シンニュウに牙」で一字

前集91項

貞士無心徼福。天即就無心処ひらく其衷。けん人着意避禍。天即就着意中奪其魄。可見天之機権最神。人之智巧何益。

貞士は福を徼むるにこころなし。天、すなわち無心のところに就いてその衷をひらく。
けん人は禍いを避くるに意を着く。天、すなわち着意のうちについてその魄を奪う。
見るべし、天の機権の最も神なるを。人の智巧、何の益かあらん。

 所ひらく其衷の「ひらく」は「片に扁の字か?
 けん人着意避禍の「けん」は「てへんに険のつくりの旧字体の字

前集92項

声妓晩景従良、一世之?花無碍。貞婦白頭失守、半生之清苦倶非。語云看人只看後半截。真名言也。

声妓も晩景に良に従えば、一世の?花、碍げなし。貞婦も白頭に守を失えば、半生の清苦、ともに非なり。
語に云う、「人を看るには、ただ後の半截を看よ」真に名言なり。

前集93項

平民肯種徳施恵、便是無位的公相。士夫徒貪権市寵、竟成有爵的乞人。

平民も肯んじて徳を種え恵みを施さば、すなわちこれ無位の公相なり。
士夫もいたずらに権を貪り寵を市らば、ついに有爵の乞人となる。

前集94項

問祖宗之徳沢、吾身所享者是。当念其積累之難。問子孫之福祉、吾身所貽者是。要思其傾覆之易。

祖宗の徳沢を問わば、わが身に享くるところのものなり。まさにその積累の難きを念うべし。
子孫の福祉を問わば、わが身に貽すところのものこれなり。その傾覆の易きを思うことを要す。

前集95項

君子而詐善、無異小人之肆悪。君子而改節、不及小人之自新。

君子にして善を詐は、小人の悪を肆にするに異なることなし。
君子にして節を改むるは、小人のみずから新たにするに及ばず。

前集96項

家人有過、不宜暴怒、不宜軽棄。此事難言、借他事隠諷之。
今日不悟、俟来日再警之。如春風解凍、如和気消氷、纔是家庭的型範。

家人、過ちあらば、よろしく暴怒すべからず、よろしく軽棄すべからず。
この事言いかたくば、他事を借りて隠にこれを諷せよ。今日悟らざれば、来日を俟ちて再びこれを警めよ。
春風の凍れるを解くがごとく、和気の氷を消すがごとくして、わずかにこれ家庭の型範なり。

前集97項

此心常看得円満、天下自無欠陥之世界。此心常放得寛平、天下自無険側之人情。

この心つねに看得て円満ならば、天下おのずから欠陥の世界なからん。
この心つねに放ち得て寛平ならば、天下おのずから険側の人情なからん。

前集98項

澹泊之士、必為濃艶者所疑。けん飾之人、多為放肆者所忌。君子処此、固不可少変其操履、亦不可太露其鋒芒。

澹泊の士は、必ず濃艶なる者の疑うところとなる。けん飾の人は、多くは放肆なる者の忌むところとなる。
君子、これに処して、もとより少しもその操履を変ずべからず、またはなはだその鋒芒を露わすべからず。

 けん飾之人の「けん」は「てへんに険のつくりの旧字体の字

前集99項

居逆境中、周身皆鍼ぺん薬石、砥節礪行而不覚。処順境内、満前尽兵刄戈矛、銷膏靡骨而不知。

逆境のうちに居れば、周身みな鍼ぺん薬石、節を砥ぎ行いを礪きて、而して覚らず。
順境のうちに処れば、満前ことごとく尽兵刄戈矛、膏を銷し骨を靡して、而して知らず。

 鍼ぺん薬石の「ぺん」は「石へんに乏の字

前集100項

生長富貴叢中的、嗜欲如猛火、権勢似烈焔。若不帯些清冷気味、其火焔不至焚人、必将自爍矣。

富貴の叢中に生長するは、嗜欲、猛火のごとく、権勢は烈焔に似たり。
もし些の清冷の気味を帯びざれば、その火焔、人を焚くに至らざるも、必ずまさにみずから爍かんとす。

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