『菜根譚』 III

前集101項〜150項


前集101項

人心一真、便霜可飛、城可隕、金石可貫。若偽妄之人、形骸徒具、真宰已亡。対人側面目可憎、独居則形影自はず。

人心の一真、すなわち霜をも飛ばすべく、城をも隕すべく、金石をも貫くべし。
偽妄の人のごときは、形骸いたずらに具わるも、真宰すでに亡ぶ。
人に対すればすなわち面目憎むべく、独居すればすなわち形影みずからはず。

 独居則形影自はずの「はず」は「女に鬼の字

前集102項

文章做到極処、無有他奇。只是恰好。人品做到極処、無有他異。只是本然。

文章、極処に做し到れば、他の奇あることなし。ただこれ恰好。
人品、極処に做し到れば、他の異あることなし。ただこれ本然。

前集103項

以幻迹言、無論功名富貴、即肢体亦属委形。以真境言、無論父母兄弟、即万物皆吾一体。
人能看得破、認得真、纔可任天下之負担、亦可脱世間之きょう銷。

幻迹をもって言えば、功名富貴を論ずるなく、すなわち肢体もまた委形に属す。
真境をもって言えば、父母兄弟を論ずるなく、すなわち万物もみなわが一体なり。
人、よく看得て破り、認めて得て真ならば、わずかに天下の負担に任うべく、また世間のきょう銷を脱すべし。

 世間之きょう銷の「きょう」は「革へんに彊のつくりの字

前集104項

爽口之味、皆爛腸腐骨之薬。五分便無殃。快心之事、悉敗身喪徳之媒。五分便無悔。

爽口の味は、みな欄腸腐骨の薬なり。五分なればすなわち殃いなし。
快心の事は、ことごとく敗身喪徳の媒なり。五分なればすなわち悔なし。

前集105項

不責人小過、不発人陰私、不念人旧悪。三者可以養徳、亦可以遠害。

人の小過を責めず、人の陰私を発かず、人の旧悪を念わず。
三者もって徳を養うべく、またもって害に遠ざかるべし。

前集106項

士君子持身不可軽。軽則物能撓我、而無悠闥チ定之趣。用意不可重。重則我為物泥、而無瀟洒活溌之機。

士君子、身を持するは軽くすべからず。軽くすれば、物よくわれを撓めて、悠闥チ定の趣なし。
意を用うるは重くすべからず。重くすれば、われ、物のために泥みて、瀟洒活溌の機なし。

前集107項

天地有万古、此身不再得。人生只百年、此日最易過。幸生其間者、不可不知有生之楽、亦不可不懐虚生之憂。

天地に万古あるも、この身はふたたび得られず。人生ただ百年、この日最も過ぎやすし。
幸いにその間に生まるる者は、有生の楽しみを知らざるべからず、また虚生の憂いを懐かざるべからず。

前集108項

怨因徳彰。故使人徳我、不若徳怨之両忘。仇因恩立。故使人知恩、不若恩仇之倶泯。

怨みは徳に因りて彰わる。ゆえに人をしてわれを徳とせしむるは、徳怨のふたつながら忘るるにしかず。
仇は恩に因りて立つ。ゆえに人をして恩をしらしむるは、恩仇のともに泯ぶるにしかず。

前集109項

老来疾病、都是壮時招的。衰後罪げつ、都是盛時作的。故持盈履満、君子尤兢兢焉。

老来の疾病は、すべてこれ壮時に招きしもの。衰後の罪げつは、すべてこれ盛時に作すもの。
ゆえに盈を持し満を履むは、君子もっとも兢々たり。

 衰後罪げつの「げつ」は「草冠に檗の字

前集110項

市私恩不如扶公儀。結新知不如敦旧好。立栄名不如種隠徳。尚奇節不如謹庸行。

私恩を市るは公儀を扶くるにしかず。新知を結ぶは旧好を敦くするにしかず。
栄名を立つるは隠徳を種るにしかず。奇節を尚ぶは庸行を謹しむにしかず。

前集111項

公平正論不可犯手。一犯則貽羞万世。権門私竇不可着脚。一着則点汚終身。

公平正論は手を犯すべからず。ひとたび犯せば羞を万世に貽す。
権門私竇は脚を着くべからず。ひとたび着くれば、終身を点汚す。

前集112項

曲意而使人喜、不若直躬而使人忌。無善而致人誉、不若無悪而致人毀。

意を曲げて人をして喜ばしむるは、躬を直くして人をして忌ましむるにしかず。
善なくして人の誉れを致すは、悪なくして人の毀りを致すにしかず。

前集113項

処父兄骨肉之変、宜従容不宜激烈。遇朋友交游之失、宜剴切不宜優游。

父兄骨肉の変に処しては、よろしく従容たるべく、よろしく激烈なるべからず。
朋友交游の失に遇いては、よろしく剴切なるべく、よろしく優游たるべからず。

前集114項

小処不滲漏、暗中不欺隠、末路不怠荒。纔是個真正英雄。

小処に滲漏せず、暗中に欺隠せず、末路に怠荒せず、わずかにこれ個の真正の英雄なり。

前集115項

千金難結一時之歓、一飯竟致終身之感。蓋愛重反為仇、薄極翻成喜也。

千金も一時の歓を結びがたく、一飯もついに終身の感を致す。
けだし愛重ければかえって仇となり、薄極まりてかえって喜びと成るなり。

前集116項

蔵巧於拙、用晦而明、寓清之濁、以屈為伸。真渉世之一壷、蔵身之三窟也。

巧を拙に蔵し、晦を用いて明らかにし、清の濁に寓し、屈をもって伸をなす。
真に世を渉るの一壷、身を蔵するの三窟なり。

前集117項

衰颯的景象、就在盛満中。発生的機緘、即在零落内。故君子居安宜操一心以慮患、処変当堅百忍以図成。

衰颯の景象は、すなわち盛満のうちにあり、発生の機緘は、すなわち零落のうちにあり。
ゆえに君子は安きに居りてはよろしく一心を操りてもって患を慮るべく、
変に処してはまさに百忍を堅くしてもって成を図るべし。

前集118項

驚奇喜異者、無遠大之識、苦節独行者、非恒久之操。

奇に驚き異を喜ぶは、遠大の識なく、苦節独行は、恒久の操にあらず。

前集119項

当恕火慾水正騰沸処、明明知得、又明明犯着。知的是誰、犯的又是誰。此処能猛然転念、邪魔便為真君矣。

恕火慾水のまさに騰沸するところに当たりて、明々に知得し、また明々に犯着す。
知るものはこれ誰ぞ、犯すものはこれ誰ぞ。このところよく猛然として念を転ずれば、邪魔すなわち真君とならん。

前集120項

毋偏信而為奸所欺。毋自任而為気所使。毋以己之長而形人之短。毋因己之拙而忌人之能。

偏信して奸の欺くところとなることなかれ。自任して気の使うところとなることなかれ。
己れの長をもって人の短を形わすことなかれ。己れの拙によりて人の能を忌むことなかれ。

前集121項

人之短処要曲為弥縫。如暴而揚之、是以短攻短。人有頑的要善為化誨。如忿而疾之、是以頑済頑。

人の短処は曲さに弥縫をなすを要す。もし暴わしてこれを揚ぐれば、これ短をもって短を攻むるなり。
人、頑あるは善く化誨をなすを要す。もし忿りてこれを疾まば、これ頑をもって頑を済うなり。

前集122項

遇沈沈不語之士、且莫輸心。見こうこう自好之人、応須防口。

沈々語らざるの士に遇わば、しばらく心を輸すことなかれ。
こう々みずから好しとするの人を見ば、まさにすべからく口を防ぐべし。

 見こうこう自好之人の「こう」は「りっしんべんに幸の字

前集123項

念頭昏散処、要知提醒。念頭喫緊時、要知放下。不燃恐去昏昏之病、又来憧憧之擾矣。

念頭昏散の処は、提醒をしらんことを要す。念頭喫緊の時は、放下を知らんことを要す。
然らざれば恐らくは昏々の病を去りて、また憧々の擾れを来たさん。

前集124項

霽日青天、倏変為迅雷震電、疾風怒雨、倏変為朗月晴空。
気機何常。一毫凝滞。太虚何常。一毫障塞。人心之体亦当如是。

霽月青天、たちまち変じて迅雷震電となり、疾風怒雨、たちまち変じて朗月青空となる。
気機なんぞ常あらん。一毫の凝滞なり。太虚なんぞ常あらん。一毫の障塞なり。
人心の体もまたまさにかくのごとくなるべし。

 倏変為の「」は「原文では犬ではなく火の字

前集125項

勝私制欲之功、有曰識不早力不易者。有曰識得破忍不過者。
蓋識是一顆照魔的明珠、力是一把斬魔的慧剣、両不可少也。

私に勝ち欲を制するの功は、識ること早からざれば力易からずというものあり。
識り得て破るも忍過ぎずというものあり。
けだし識はこれ一顆の照魔の明珠、力はこれ一把の斬魔の慧剣、ふたつながら少くべからざるなり。

前集126項

覚人之詐、不形於言。受人之侮、不動於色。此中有無窮意味、亦有無窮受用。

人の詐を覚るも、言に形わさず。人の侮りを受くるも、色に動かさず。
このうち無窮の意味あり、また無窮の受用あり。

前集127項

横逆困窮、是鍛煉豪傑的一福鑢錘。能受其鍛煉則身心交益。不受其鍛煉則身心交損。

横逆困窮は、これ豪傑を鍛煉するの一副の鑢錘なり。よくその鍛煉を受くれば、身心こもごも益す。
よくその鍛煉を受けざれば、見心こもごも損す。

前集128項

吾身一小天地也。使喜怒不愆、好悪有則、便是燮理的功夫。
天地一大父母也。使民無怨咨、物無氛疹、亦是敦睦的気象。

わが身は一小天地なり。喜怒をして愆らず、好悪をして則あらしめば、すなわちこれ燮理の功夫なり。
天地は一大父母なり。民をして怨咨なく、物をして氛疹なからしめば、またこれ敦睦の気象なり。

前集129項

害人之心不可有、防人之心不可無。此戒疎於慮也。寧受人之欺、毋逆人之詐。此警傷於察也。二語竝在、精明而渾厚矣。

人を害するの心はあるべからず、人を防ぐの心はなかるべからず、と。これ慮るに疎きを戒しむなり。
むしろ人の欺きを受くるも、人の詐りを逆うることなかれ、と。
これ察に傷るるを警しむるなり。二語ならび在すれば、精明にして渾厚ならん。

前集130項

毋因群疑而阻独見。毋任己意而廃人言。毋私小恵而傷大体。毋借公論以快私情。

群疑に因りて独見を阻むことなかれ。己れの意に任せて人の言を廃することなかれ。
小恵を私して大体を傷ることなかれ。公論を借りてもって私情を快くすることなかれ。

前集131項

善人未能急親、不宜預揚。恐来讒譛之奸。悪人未能軽去、不宜先発。恐招媒げつ之禍。

善人、いまだ急に親しむことあたわざれば、よろしくあらかじめ揚ぐべからず。おそらくは讒譛の奸を来たさん。
悪人、いまだかろがろしく去ることあたわざれば、よろしくまず発すべからず。おそらくは媒げつの禍いを招かん。

 恐招媒げつの「げつ」は「草冠に檗の字

前集132項

青天白日的節義、自暗室屋漏中培来。旋乾転坤的経綸、自臨深履薄処操出。

青天白日の節義は、暗室屋漏のうちより培い来たり、旋乾転坤の経綸は、臨深履薄のところより操り出す。

前集133項

父慈子孝、兄友弟恭、縦做倒極処、倶是合当如此。着不得一毫感激的念頭。
如施者任徳、受者懐恩、便是路人、便成市道矣。

父は慈に子は孝に、兄は友に弟は恭に、たとい極処になし到るも、ともにこれ、まさにかくのごとくなるべし。
一毫の感激の念頭を着けえず。
もし施す者は徳に任じ、受くる者は恩を懐わば、すなわちこれ路人、すなわち市道と成らん。

前集134項

有妍必有醜為之対。我不誇妍、誰能醜我。有潔必有汚為之仇。我不好潔、誰能汚我。

妍あれば必ず醜ありてこれが対をなす。われ、妍に誇らざれば、たれかよくわれを醜とせん。
潔あれば必ず汚ありてこれが仇をなす。われ、潔を好まされば、たれかよくわれを汚さん。

前集135項

炎涼之態、富貴更甚於貧賎、妬忌之心、骨肉尤狠於外人。
此処若不当以冷腸、御以平気、鮮不日坐煩悩障中矣。

炎涼の態は、富貴さらに貧賎よりもはなはだしく、妬忌の心は、骨肉もっとも外人よりも狠なり。
このところ、もし当たるに冷腸をもってし、御するに平気をもってせざれば、日として煩悩障中に坐せざること鮮なからん。

前集136項

功過不容少混。混則人懐惰堕之心。恩仇不可大明。明則人起携弐之志。

功過は少しも混ずべからず。混ずれば、人、惰堕の心を懐かん。
恩仇は大いに明らかにすべからず。明らかにせば、携弐の志を起こさん。

前集137項

爵位不宜太盛。太盛則危。能事不宜尽畢。尽畢則衰。行誼不宜過高。過高則謗興而毀来。

爵位はよろしくはなはだ盛んなるべからず。はなはだ盛んなれば危うし。能事はよろしくことごとく畢るべからず。
ことごとく畢れば衰う。行誼はよろしく過高なるべからず。過高なれば謗興りて毀来たる。

前集138項

悪忌陰、善忌陽。故悪之顕者禍浅、而陰者禍深。善之顕者功小、而陰者功大。

悪は陰を忌み、善は陽を忌む。ゆえに悪の顕われたるは、禍に浅くして、隠れたるは、禍に深し。
善の顕われたるは、功小にして、隠れたるは功大なり。

前集139項

徳者才之主、才者徳之奴。有才無徳、如家無主而奴用事矣。幾何不魍魎猖狂。

徳は才の主、才は徳の奴なり。才ありて徳なきは、家に主なくして、奴、事を用うるがごとし。
いかんぞ魍魎にして猖狂せざらん。

前集140項

鋤奸杜倖。要放他一条去路。若使之一無所容、譬如塞鼠穴者。一切去路都塞尽、則一切好物倶咬破矣。

奸を鋤き、倖を杜ぐには、他の一条の去路を放つを要す。
もしこれをして一も容るるところなからしめば、たとえば鼠穴を塞ぐもののごとし。
一切の去路、すべて塞ぎ尽くせば、一切の好物ともに咬み破られん。

前集141項

当与人同過。不当与人同功。同功則相忌。可与人共患難。不可与人共安楽。安楽則相仇。

まさに人と過ちを同じくすべし。まさに人と功を同じくすべからず。
功を同じくすれば相忌む。人と患難をともにすべし。
人と安楽をともにすべからず。安楽なれば相仇とす。

前集142項

士君子貧不能済物者、遇人癡迷処、出一言提醒之、遇人急難処、出一言解救之。亦是無量功徳。

士君子、貧にして物を済うことあたわざる者、人の癡迷のところに遇い、一言を出してこれを提醒し、
人の急難のところに遇い、一言を出してこれを解救す。
またこれ無量の功徳なり。

前集143項

饑則附、飽則よう、燠則趨、寒則棄。人情通患也。

饑うれば附き、飽けばあがり、燠かなれば趨き、寒ければ棄つ。人情の通患なり

 飽則ようの「よう」は「風に易の字

前集144項

君子宜浄拭冷眼。慎勿軽動剛腸。

君子はよろしく冷眼を浄拭すべし。慎しんでかろがろしく剛腸を動かすことなかれ。

前集145項

徳随量進、量由識長。故欲厚其徳、不可不弘其量、欲弘其量、不可不大其識。

徳は量に随って進み、量は識に由って長ず。ゆえにその徳を厚くせんと欲せば、その量を弘くせざるべからず。
その量を弘くせんと欲せば、その識を大にせざるべからず。

前集146項

一灯蛍然、万籟無声。此吾人初入宴寂時也。暁夢初醒、群動未起。此吾人初出混沌処也。
乗此而一念廻光、烱然返照、始知耳目口鼻皆桎梏、而情欲嗜好悉機械矣。

一灯蛍然として、万籟声なし。これ吾人初めて宴寂に入るの時なり。
暁夢初めて醒め、群動いまだ起こらず。これ吾人初めて混沌を出ずるところなり。
これに乗じて一念光りを廻らし、烱然として返照せば、
始めて耳目口鼻はみな桎梏にして、情欲嗜好はことごとく機械たるを知る。

前集147項

反己者触事皆成薬石。尤人者動念即是戈矛。一以闢衆善之路、一以濬諸悪之源。相去霄壤矣。

己れを反する者は、事に触れてみな薬石と成る。人を尤むる者は、念を動かせばすなわちこれ戈矛。
一はもって衆善の路を闢き、一はもって諸悪の源を濬くす。相去ること霄壤なり。

前集148項

事業文章、随身銷毀。而精神万古如新。功名富貴、逐世転移。而気節千載一日。君子信不当以彼易此也。

事業文章は、身に随いて銷毀す。而して精神は万古新たなるごとし。功名富貴は、世を逐うて転移す。
而して気節は千載一日なり。君子、まことにまさに彼をもって此に易うべからず。

前集149項

魚網之設、鴻則罹其中。蟷螂之貪、雀又乗其後。機裡蔵機、変外生変。智巧何足恃哉。

魚網の設くる、鴻すなわちその中に罹る。蟷螂の貪る、雀またその後に乗ず。
機裡に機を蔵し、変外に変を生ず。智巧なんぞ恃むに足らんや。

前集150項

作人無点真懇念頭、便成個花子、事事皆虚。渉世無段円活機趣、便是個木人、処処有碍。

人となるに点の真懇念頭なければ、すなわち個の花子と成り、事々みな虚なり。
世を渉るに段の円活機趣なければ、すなわち個の木人、処々碍りあり。

戻る