『菜根譚』 VIII

後集101項〜134項


後集101項

田父野叟、語以黄鶏白酒、則欣然喜。問以鼎食、則不知。
語以おん袍じゅ褐、則油然楽。
問以袞服、則不識。其天全。故其欲淡。此是人生第一個境界。

田父野叟は、語るに黄鶏白酒をもってすれば、すなわち欣然として喜ぶ。問うに鼎食をもってすれば、すなわち知らず。
語るにおん袍じゅ褐をもってすれば、すなわち油然として楽しむ。
問うに袞服をもってすれば、すなわち識らず。その天全し。ゆえにその欲淡し。これはこれ人生第一個の境界なり。

 語以おん袍じゅ褐の「おん」は「媼の女へんを糸へんに変えた字
 語以おん袍じゅ褐の「じゅ」は「ころもへんに豆の字

後集102項

心無其心、何有於観。釈氏曰観心者、重増其障。物本一物、何待於斉。荘生曰斉物者、自剖其同。

心にその心なくば、なんぞ観にあらん。釈氏が心を観ずというのは、重ねてその障を増すなり。
物もと一物、なんぞ斉しうするを待たん。荘生が物を斉しうせよというは、みずからその同を剖くなり。

後集103項

笙歌正濃処、便自払衣長往。羨達人撒手懸崕。更漏已残時、猶然夜行不休。咲俗士沈身苦海。

笙歌まさに濃かなるところ、すなわちみずから衣を払って長く往く。達人の手を懸崕に撒するを羨む。
更漏すでに残る時、猶然として夜行休まず。俗人の身を苦海に沈むるを咲う。

後集104項

把握未定、宜絶迹塵囂。使此心不見可欲而不乱、以澄吾静体。
操持既堅、又当混迹風塵。使此心見可欲而亦不乱、以養吾円機。

把握いまだ定まらずんば、よろしく迹を塵囂に絶つべし。
この心をして欲すべきを見ずして、而して乱れざらいしめ、もってわが静体を澄ます。
操持すでに堅ければ、またまさに迹を風塵に混ずべし。
この心をして欲すべきを見て、而してまた乱ざらしめ、もってわが円機を養う。

後集105項

喜寂厭喧者、往往避人以求静。不知意在無人、便成我相、心着於静、便是動根。
如何到得人我一視、動静両忘的境界。

寂を喜び喧を厭うは、往々人を避けてもって静を求む。
知らず、意人なきにあれば、すなわち我相を成し、心静に着せば、すなわちこれ動根なるを。
いかんぞ、人我一視、動静ふたつながら忘るの境界に到り得ん。

後集106項

山居胸次清洒、触物皆有佳思。
見孤雲野鶴、而起超絶之想、遇石澗流泉、而動澡雪之思、撫老檜寒梅、而勁節挺立、侶沙鴎麋鹿、而機心頓忘。
若一走入塵寰、無論物不相関、即此身亦属贅旒夷。

山居すれば、胸次清洒、物に触れてみな佳思あり。
孤雲野鶴を見て、超絶の想いを起こし、石澗流泉に遇って、澡雪の思いを動かし、
老檜寒梅を撫して、勁節挺立し、沙鴎麋鹿を侶として、機心とみに忘れる。
もしひとたび走って塵寰に入らば、物の相関せざるに論なく、すなわちこの身もまた贅旒に属す。

 侶沙鴎麋鹿の「」は「原文では区ではなく區の字

後集107項

興逐時来、芳草中撒履闕s、野鳥忘機時作伴。景与心会、落花下披襟兀坐、白雲無語漫相留。

興、時を逐うて来たれば、芳草のうち、履を撒して闕sし、野鳥機を忘れて時に伴をなす。
景、心と会すれば、落花のもと、襟を披いて兀坐し、白雲語なくしてそぞろに相留まる。

後集108項

人生福境禍区、皆念想造成。故釈氏云、利欲熾然、即是火坑。貪愛沈溺、便為苦海。
一念清浄、烈焔成池、一念警覚、船登彼岸。念頭稍異、境界頓殊。可不慎哉。

人生の福境禍区は、みな念頭より造成す。ゆえに釈氏云う、「利欲熾然なれば、すなわちこれ火坑。
貪愛に沈溺すれば、すなわち苦海となる。
一念清浄なれば、列焔も池と成り、一念警覚すれば、船彼岸に登る」。
念頭やや異なれば、境界とみに殊なる。慎しまざるべけんや。

後集109項

繩鋸木断、水滴石穿。学道者須加力索。水到渠成、瓜熟蒂落。得道者一任天機。

繩鋸も木断ち、水滴も石穿つ。道を学ぶには、すべからく力索を加うべし。
水到れば渠成り、瓜熟すれば蒂落つ。道を得るには、一に天機に任す。

後集110項

機息時、便有月到風来。不必苦海人世。心遠処、自無車塵馬迹。何須痼疾丘山。

機息む時、すなわち月到り風来たるあり。必ずしも苦海の人世ならず。
心遠きところ、おのずから車塵馬迹なし。なんぞ痼疾の丘山を須いん。

後集111項

草木纔零落、便露萠穎於根底。時序雖凝寒、終回陽気於飛灰。
粛殺之中、生生之意、常為之主。即是可以見天地之心。

草木わずかに零落すれば、すなわち萠穎を根底に露わす。時序凝寒といえども、ついに陽気を飛灰に回す。
粛殺のうち、生々の意、つねにこれが主となる。すなわちこれもって天地の心を見るべし。

後集112項

雨余観山色、景象便覚新妍。夜静聴鐘声、音響尤為清越。

雨余山色を観れば、景象すなわち新妍を覚ゆ。夜静かに鐘声を聴けば、音響もっとも清越となす。

後集113項

登高使人心曠、臨流使人意遠。読書於雨雪之夜、使人神清、舒嘯於丘阜之嶺、使人興邁。

高きに登れば、人をして心曠からしめ、流れに臨めば、人をして意遠からしむ。
書を雨雪の夜に読めば、人をして神清からしめ、嘯を丘阜の嶺に舒ぶれば、人をして興邁ならしむ。

後集114項

心曠則万鐘如瓦缶、心隘則一髪似車輪。

心曠ければ、万鐘も瓦缶のごとく、心隘ければ、一髪も車輪に似たり。

後集115項

無風月花柳、不成造化。無情欲嗜好、不成心体。
只以我転物、不以物役我、則嗜慾莫非天機、塵情即是理境矣。

風月花柳なければ、造化を成さず。情欲嗜好なければ、心体を成さず。
ただわれをもって物を転じ、物をもってわれを役せざれば、
すなわち嗜慾も天機にあらざるなく、塵情もすなわちこれ理境なり。

後集116項

就一身了一身者、方能以万物付万物。還天下於天下者、方能出世間於世間。

一身に就いて一身を了するは、まさによく万物をもって万物に付す。天下を天下に還すは、まさによく世間を世間に出だす。

後集117項

人生太閨A則別念竊生。太忙則真性不現。故士君子不可不抱身心之憂、亦不可不耽風月之趣。

人生はなはだ閧ネれば、すなわち別念ひそかに生ず。はなはだ忙なれば、すなわち真性現れず。
ゆえに士君子は、身心の憂いを抱かざるべからず、また風月の趣に耽らざるべからず。

後集118項

人心多従動処失真。
若一念不生、澄然静坐、雲興而悠然共逝、雨滴而冷然倶清、鳥啼而欣然有会、花落而瀟然自得。
何地非真境。何物無真機。

人心多くは動処より真を失う。
もし一念生ぜず、澄然静坐すれば、雲興りて悠然としてともに逝き、雨滴りて冷然としてともに清く、
鳥啼いて欣然として会するあり、花落ちて瀟然として自得す。
なんの地か真境にあらざらん。なんの物か真機なからん。

後集119項

子生而母危、きょう積而盗窺、何喜非憂也。貧可以節用、病可以保身、何憂非喜也。故達人当順逆一視而欣戚両忘。

子生まれて而して母危く、きょう積んで而して盗窺う、なんの喜びか憂いにあらざらん。
貧はもって用を節すべく、病はもって身を保つべし、なんの憂いか喜びにあらざらん。
ゆえに達人は、まさに順逆一視して、欣戚ふたつながら忘るべし。

 きょう積而盗窺の「きょう」は「金へんに強の字

後集120項

耳根似ひょう谷投響。過而不留、則是非倶謝。心境如月池浸色。空而不著、則物我両忘。

耳根はひょう谷の響きを投ずるに似たり。過ぎて留めざれば、すなわち是非ともに謝す。
心境は月池の色を浸すがごとし。空にして著せざれば、すなわち物我ふたつながら忘る。

 耳根似ひょう谷投響の「ひょう」は「颱の台に変えて炎の字

後集121項

世人為栄利纏縛、動曰塵世苦海。不知雲白山青、川行石立、花迎鳥咲、谷答樵謳。
世亦不塵、海亦不苦、彼自塵苦其心爾。

世人、栄利のために、纏縛せられて、ややもすれば塵世苦海という。
知らず、雲白く山青く、川行き石立ち、花迎え鳥咲い、谷答え樵謳う。
世もまた塵ならず、海もまた苦ならず、かれみずからその心を塵苦にするのみ。

後集122項

花看半開、酒飲微酔。此中大佳趣。若至爛漫ぼうとう、便成悪境矣。履盈満者、宜思之。

花は半開を看、酒は微酔に飲む。このうち大いに佳趣あり。
もし爛漫ぼうとうに至らば、すなわち悪境を成す。盈満を履むもの、よろしくこれを思うべし。

 若至爛漫ぼうとうの「ぼうとう」は「酉に毛(ぼう)陶のこざとへんを酉へんに変えた字

後集123項

山肴不受世間潅漑、野禽不受世間拳養、其味皆香而且冽。吾人能不為世法所点染、其臭味不けい然別乎。

山肴は世間の潅漑を受けず、野禽は世間の拳養を受けず。その味みな香しくしてかつ冽なり。
吾人よく世法のために点染せられざれば、その臭味、けい然として別ならずや。

 其臭味不けい然別乎の「けい」は「しんにゅうに向の字

後集124項

栽花種竹、玩鶴観魚。亦要有段自得処。若徒留連光景、玩弄物華、亦吾儒之口耳、釈氏之頑空而已。有何佳趣。

花を栽え竹を種え、鶴を玩び魚を観る。また段の自得のところあるを要す。
もしいたずらに光景に留連し、物華を玩弄せば、またわが儒の口耳、釈氏の頑空のみ。なんの佳趣かあらん。

後集125項

山林之士、清苦而逸趣自饒、農野之夫、鄙略而天真渾具。若一矢身市井そかい、不若転死溝壑神骨猶清。

山林の士は、清苦にして逸趣おのずから饒く、農野の夫は、鄙略にして天真すべて具わる。
もしひとたび身を市井のそかいに失せば、溝壑に転死して、神骨なお清きにしかず。

 若一矢身市井そかいの「そかい」は「馬に且(そ)イに會(かい)の字

後集126項

非分之福、無故之獲、非造物之釣餌、即人世之機せい。此処着眼不高、鮮不堕彼術中矣。

分にあらざるの福、ゆえなきの獲は、造物の釣餌にあらざれば、すなわち人世の機せいなり。
このところ着眼高からざれば、かれの術中に堕ちざること鮮なし。

 即人世之機せいの「せい」は「こざとへんに井の字

後集127項

人生原是一傀儡。只要根蒂在手。一線不乱、巻舒自由、行止在我。一毫不受他人提てつ、便超出此場中矣。

人生はもとこれ一傀儡。ただ根蒂の手にあるを要す。一線乱れず、巻舒自由、行止われにあり。
一毫も他人の提てつを受けざれば、すなわちこの場中を超出せん。

 一毫不受他人提てつの「てつ」は「綴の糸へんをてへんに変えた字

後集128項

一事起則一害生。故天下常以無事為福。読前人詩云、勧君莫話封候事、一将功成万骨枯。
又云、天下常令万事平、匣中不惜千年死。雖有雄心猛気、不覚化為氷霰矣。

一事起これば一害生ず。ゆえに天下はつねに無事をもって福となす。
前人の詩を読むに云く、「君に勧む話しすることなかれ封候のこと、一将功成りて万骨枯る」。
また云く、「天下つねに万事をして平らかならしむれば、匣中惜しまず千年死するを」。
雄心猛気ありといえども、覚えず化して氷霰となる。

後集129項

淫奔之婦、矯而為尼、熱中之人、激而入道。清浄之門、常為婬邪之渕藪也如此。

淫奔の婦は、矯して尼となり、熱中の人は、激して道に入る。清浄の門、つねに婬邪の渕藪となるやかくのごとし。

後集130項

波浪兼天、舟中不知懼、而舟外者寒心。猖狂罵坐、席上不知警、而席外者咋舌。
故君子身雖在事中、心要超事外也。

波浪の天を兼ねる。舟中懼るるを知らず、而して舟外の者は心を寒くす。
猖狂の坐を罵る、席上警しむるを知らず、而して席外の者は舌を咋む。
ゆえに君子は、身、事中にありといえども、心は事外に越えんことを要するなり。

後集131項

人生減省一分、便超脱一分。如交遊減便免紛擾。
言語減便寡愆尤。思慮減則精神不耗。聡明減則混沌可完。
彼不求日減而求日増者、真桎梏此生哉。

人生、一分を減省すれば、すなわち一分を超脱す。もし交遊減ずれば、すなわち紛擾を免る。
言語減ずれば、すなわち愆尤寡なし。思慮減ずれば、すなわち精神耗せず。聡明減ずれば、すなわち混沌完うすべし。
かの日に減ずるを求めずして、日に増すを求むるは、真にこの生を桎梏するかな。

後集132項

天運之寒暑易避、人世之炎凉難除。人世之炎凉易除、吾心之氷炭難去。
去得此中之氷炭、則満腔皆和気、自随地有春風矣。

天運の寒暑は避けやすきも、人生の炎凉は除きがたし。人世の炎凉は除き易きも、わが心の氷炭は去りがたし。
この中の氷炭を去り得ば、満腔みな和気、おのずから地に随って春風あり。

後集133項

茶不求精而壷亦不燥。酒不求冽而樽亦不空。素琴無絃而常調、短笛無腔而自適。縦難超越羲皇、亦可匹儔荊けい阮。

茶は精を求めず、而して壷もまた燥かず、酒は冽を求めず、而して樽もまた空しからず。
素琴絃なくしてつねに調い、短笛腔なくしておのずから適す。たとい羲皇を超越しがたきも、またけい阮に匹儔すべし。

 亦可匹儔荊けい阮の「けい」は「禾へんに尤の下に山の字

後集134項

釈氏随縁、吾儒素位。四字是渡海的浮嚢。蓋世路茫茫、一念求全、則万緒紛起。随寓而安、則無入不得矣。

釈氏の随縁、わが儒の素位、四字はこれ渡海の浮嚢なり。けだし世路茫々、一念全きを求むれば、すなわち万緒紛起す。
寓に随って安んずれば、すなわち入るとして得ざることなし。

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